◆国の根性が違います
◆行政体制がが違います
◆国民性が違います
◆常識が違います
◆考慮の順番が違います
◆法律が違います
◆同じ漢字でも説明が違います
◆人間関係が違います
◆生活習慣が違います |
1872年(明治5年)8月11日、中国満清政府は、初めてアメリカへ派遣官費留学生30名、10歳の児童
◆中国の近代歴史を僅かでも認識するほうがよい
中国大陸では、1949年(昭和24年)以来、内戦の結果として国民党政府を台湾へ追い出して、大陸は、共産党の政権になりました。政府は中華人民共和国と称します。台湾では、国民党政府が継続され中華民国と称するようになりました。台湾では、蒋介石総統が80年代に死去後、台湾の民主化が段々加速して、終に、国民党以外の政党は野党になり、新しい政府になりました。大陸では、70年代に、毛沢東主席が死去後、大陸の共産党政府は、”開放政策”に転換、大幅度経済改革に乗って、市場経済の比率は段々高くなり、この十数年以来、大陸では、経済的に計り知れない進歩をしています。2001年大陸と台湾は同時にWTOに加盟、経済発展は、更に加速することでしょう。しかし忘れないように:大陸では、共産党の一党独裁です、放棄する模様もない、いくら民主化でも、ここまでです。経済ではいくら進歩しても社会主義という理念を放棄しない。台湾が中国にとって一つの省という概念は、根深く蒂固です。中国は、どのような衝突が起きても、この理念を守りたいのです。1951年〜1953年朝鮮戦争以来、アメリカ軍は台湾海峡での軍事巡回を一日も止めていません、中国は台湾回帰のために、アメリカとの衝突状態は1971年の中米邦交回復まで続きました。もちろん、中国と日本の”冷戦状態”は、1972年中日邦交回復までで終了し、1972年から中日関係はやっと正常になりました。
◆国民の安定感は最近から、でも安心感はまだ・・・
中国の近代は、戦争と政治運動の連続で、庶民にとって連続10年以上の平和は、最近です。1840年阿片戦争(中国広東省の巡撫林則徐はイギリスから輸入したアヘンを燃やしたために中英戦争になった)、1894年甲午日中海戦、1896年八国聯軍侵略戦争、1911年辛亥革命北伐戦争、1937年日中戦争、1946年国民党と共産党戦争開始内戦勃発、1951年朝鮮戦争、1952年三反(反浪費、反賄賂)、1954年から20年間べトナムへ(相手はまずフランス、後はアメリカ)支援戦争、1956年”交心”運動(自分の真実を共産党へ告白、反右運動の前芸)、1957年反右運動(共産党へ不満者とアドバイス者へ鎮圧)、1958年人民公社運動(無理やり農民たちを工場のように管理させて、結局大失敗)、1961年から三年困難時期(農民たちは四川省のみ餓死200万人以上、都会では供給制へ変換、庶民が保護された)、1965年2回中印戦争、1966年から文化大革命運動、1970年中蘇戦争、1971年中米邦交回復、1972年中日邦交回復、1972年中国とペトナム戦争。1979年毛沢東主席と周恩来総理去世、1989年天安門事件と、平和からは無縁の状態が続き、やっと1990年からケ小平主席からの”開放改革”政策で今までの中国は、やっと落ち着いたようです。しかし、この平和もこれから十数年だけでしょう。
◆日本はやはり法律治人の国になり、中国は人治国の変換期がまだ終わっていない
戦後の日本では、新憲法に基づき法律を立ち上げてから、日本は変わりました。アジアでも、日本は、初めての本当の法律治国の形になっています。”六法全書”は庶民の案頭にも置けます。ところが、中国では法律という概念は、本当に庶民の心にはもともと存在しません。すべての生活は、”紅頭文件治国”(中共中央文件の代名詞)です。これは、法律でなく”朝三暮四”のものです。これで庶民は。は安心感はないはずでしょう。もともと中国は、封建主義の歴史は長すぎて、近代になっても根本は、なかなか変わらないでしょう。筆者は、毛沢東の書斎を見物したことがあります。その部屋は、田中角栄元首相と会談した時に使われたので有名です。この書斎には、宋の時代の「資治通ル」や明清の時代のなんとかかんとか朝廷内蔵の”治人治国”の本がビッシリと並んでいます。もちろんマルクスとエンゲルスの本もあります。あれは、飾りものです。そういえば、中国では、いくら”政党”や”共和”やなんとか現代の政治名詞に溢れていても、その心髄を見れば、やはり”封建”から逃げれないでしょう。信じでいないのは、毎朝0時45分の中国中央テレビの全国”新聞聯播”番組をご覧ください:ただ15分の時間には、”中共中央領導人はXX国の首相を接見した・・・・中共中央領導人はXX国を訪問中・・・・中央政府各部委XX会議を挙行・・・・”これは、中国の上層部が、自分が”漢武帝意識”のつもりの現代版でしょうか。
◆中国では意識形態方面に関する管制は厳しく続いています、皆さん気を付けてください
ある方は、中国でマスコミ関連会社を作りたいとの話を聴きました。中国で放送会社を作る、劇団を作るなど、即ち意識形態方面の連携を求めています。これは大変危険な考えです、大喝しなければ、なりません。ある中国へよくいた方は、私に言いました:中国は変わった!あなたは、多分信じでいません!これは、私はもちろん信じでいますが、中国でいくら変化があっても政治態度の変化と意識形態の変化はできないでしょう。また、日本社会で汎用できる”笑い話のねた”は、中国では決して汎用できない可能性が高いと信じています。たとえば、大阪の”吉本興業”さんのテレビ中の笑い番組で、いつも警察をねたにして、暴力団をねたにして、花子の頭を叩いて、皆の笑いを誘う、でも、このようなねたは、中国では、あっというまに政治問題になってしまいます。その上、若い一代は、知らないかもしれませんか、老一代の方は、戦争を忘れていません。社会で、もし日本人が、中国人と喧嘩すれば、あっというまに政治問題になってしまうかもしれません。中国のことわざは”君子復讐20年不晩”(君子すれば、仕返しは20年後でも遅くない)。ある方は日本人へ復讐をすることの可能性は無きにしも非ずと思います。数年前、上海のレストランで、中国人のウェイトレスが、スープを間違えたかどうかで、多分”対不起”の様な誤りも無いため、ある社長が、大変怒って、”土下座”を要求したが、周りの野次馬たちが怒って、大変な衝突になってしまいました。これは、この話題の典型の例です、社長が、どんなに怒っても、ここは日本ではない事を多分忘れてしまったのでしょう。”土下座”は日本の文化です、中国では2000年前の漢の時代で、”負荊請罪”のシーンを劇でなら見たことがあるでしょうが、現代の上海では、想像以上のシーンでしょう、上海人のびっくりさが想像できます。このことの社長の不慎重さは、日本の文化と日本以外の文化の違いを明確に分からなければならないでしょう。日中戦争時代の記憶を強制的にも思い出させてしまいました。これでは、いくら理由あっても負けてしまいます。正しい方法は、マスコミへこの様なサービス態度を摘発したり、あるいは、どこの会社でもある”外事辨公室”へ届けたりして、このようなウェイトレスを教育しなければなりません、それが、正しい処理です。結局、この社長は中国当局から強制送還されたようです。
◆中国の行政体制を勉強しておいてドラブルが発生した時に誰に相談するべきか知っておきましょう
中国の行政体制は、中国共産党と中国中央政府、人民警察の3ルートです。中国共産党は、中国共産党中央委員会(中共中央と称する)の主席(江沢民)から、省共産党委員会(省委と称する)、地区党委、市委、区委、県委、郷委、鎮委、公司党委、支部委員会、党小組まで、これらは、中国の
実権派です。中央政府の下は、国務院、各部(高等教育部、教育部、冶金部、電子工業、機械部、など十数部門)、省政府、専署、市政府、区政府、県政府、郷政府、などです。人民警察とは、公安部、省公安委員会、市公安局、派出所、街道委員会(準警察組織)です。どんなことをどんな組織に依頼するかは自分ではっきり分かるはずです。特に、外国企業に対しては、共産党の組織を表面に出さないけれども、いつも大切な役割りを果たしている事を充分に注意して欲しいです。中国側の法律部門といえば「公検法」部門(公―公安部門、検―検察部門、法―地方法院と中央法院)が受理します。その上で、中国側の弁護士協会(律師協会、中国大陸の弁護士システムの歴史はまだ浅いですが確かにありますよ)を通じて、日本と同じ様に、弁護のシステムを利用できます。時間が掛かりますが、外国独資企業と中外合資企業の利益をしっかりと守る事でしょう。
◆中国の教育でどこまで日中戦争のことを教えたか日本人ははっきり分かる方がよいか
日中の間で不愉快の戦争の事に対して、中国では子供からどんな教育していますか?私は中国で大学卒業まで教育を受けた記憶により、日本人へ恨む教育はあまりないと思います。最近、上海の小学校で使っている国語教材を見ましょう:小学校四年生の国語教材「抗日英雄楊靖宇」(1938年10月戦闘開始から1940年2月戦死の間、抗日聯軍を統率する楊靖宇将軍は山間地帯で日本軍と戦った物語、この教材は私が小学校時代からあった教材)、小学校五年生の国語教材「鉄の罪証」(この教材は、昔は無かった、靖国神社参拝問題出てから追加したらしい。内容は、南京での南京死難者記念館の紹介、その中には、下関草鞋峡惨殺事件、江東残殺事件を簡単に紹介しています)、小学校五年生の国語教材「愛国将領ケ世昌」(1894年甲午海戦中、致遠号戦艦の艦長ケ世昌は日本艦隊の先鋒艦吉野号と戦った話)、小学校六年生の国語教材「小英雄雨来」(山西省の晋察翼地方の12歳子供は日本軍の拷問中、上手に逃げた物語。この教材も私が小学校時代があった教材)。子供の教材には日中戦争に対して、これ以上はありません。中学校から、「中国歴史」の中でまだ詳しく解説あります。しかし、私に対しては、本当に、日本人に対する恨む教育はなかったと思います。実には、私は、南京の出身です。お爺さんお婆さんは、南京で小さな店を持っています。日本軍は上海へ侵攻してから南京へ侵略す模様を感じてから逃げました。これは南京占領の1週前のこと。あのとき、庶民は自分の両足で逃げるは間に合わない、他の方法もない時期。その時、お爺さんは、兵士を乗せる運兵船の船員を賄賂しながら、7人のこともの6人の1人つづを、運兵船に逃げ込んで、兵士のベットの下か、トランプの机の下でか逃げる成功しました。最後の末子を田舎の農民へ送りました。それて、家族9人全員に四川省へ逃げ込んだ。すごく悲惨なことは、逃げてない人々は、賄賂の金もない、なんにもない貧困な人々、と日本軍隊の残酷さを信じない人々でした。これらの人々が惨殺されました。1972年中日邦交を回復際、毛沢東と周恩来は、中国人と充分に相談ぜずに戦争賠償を放棄しました。その時、かれらの考えるには、中国の孔子老子の哲学思想:”放下屠刀立地成佛”や”不打落水狗”や”以心換心以徳報徳”でしょう。でも、日本人の哲学思想にはやはり孔子老子でなく孟子荀子の哲学思想のですらしい、”非攻”や”祖先報徳”などから、結局”靖国神社”の問題なりました。毛沢東と周恩来には、まったく想像できないことです。でも、これは日本人庶民たちは、日本から大量のODA援助を貰った中国人は、日本に対してあまり感謝の言葉すくない感じとなんとか関連性あるでしょう。でも、このような不愉快の話題をお互いに避けるより、自分の態度をはっきりさせる方がよい、即ち、”このような歴史は、我々が責任を持つべきでなく、我々の前の時代の責任です。”、前の時代の責任者たちは、歴史を歪曲しなく、勇気を出して、歴史を正視して、歴史の真実を解明するべき、この歴史を解明する日本人は必ずいる、必ず解明す時期が来るはずです。”。このような態度は、中国人が受けるべきと思います。前向きに、日中の新しい時代へ前進しましょう。
◆都会と農村の差別は日本が小さく中国は大きい
中国は、13億人の国ですが、都会の人口は、せいぜい2億人、農村地帯では、11億人を超えます。しかし、中国は、引越しの自由がない国なのです、”町の戸籍”と”農村戸籍”の壁は国と国同じい厳しいと思います。それだけでなく、町の人口により、町の”レベル”があります。人口が多い程レベルが高い。引越す場合は、レベルが高い(人口が多い)町からレベルが低い(人口が少ない)町への引越しは簡単な手続きでできますが、逆の場合は、大変複雑になります。そのため、農村から町への引越しはほぼ不可能です。農村の庶民は町へ引越ししたい場合は、”参軍”(軍隊に入隊する)、”招工”(工人になる)、”就学”(大学や専門学校)のみのチャンスしかありません。でも一旦農村へ離れるチャンスがあれば、だれも逆流(農村へ戻る)しないでしょう。この”年々に自然選別”の結果は、農村で人材不足、教師不足、資本不足、嫁さん過剰、など年々ひどくなっています。この問題は、都会近くの農村は問題が少ないが、辺鄙地方は、かなり大きな問題になっています。案頭で数冊の中国語教科書、その後ろで”発達地方用”を書いていますが、”農村地方用”もあるらしい。農村の教育力の不足は、かなり将来発展の障害になるだろう。数年前中国各地で”希望工程”の運動がありました。この運動は、一人の撮影家が貧困地方のこともの”登校不能”(学校ないか先生ないかの理由で学校へ行けなかった)の子供の写真を大きく宣伝して、皆は、お金を集めて、学校を改善します。しかし、つい前、この運動は、強制的に、一方都合に、”中止宣言”されました。多分”中国のメンツを潰される心配があったのでしよう。もちろん、この運動を中止されても、問題を解決できないでしょう。
◆中国では”義務教育”は有名無実、教育の問題は続いています
帰国孤児を世話することで多くの中国からの帰国者と接触しました。都会出身の私もびっくりすることは、かなりの数の30代から40代の孤児の2代は、小学まで、或いは中学中退の学歴です。その中には、女性は小学校さえもいっていない方もいます。やはり日本と異なるところです。中国の教育システムは、7歳から小学校、小学校6年、初級中学3年、高級中学3年、でも初級中学を卒業してから”中等専門学校”に入り、大体1年から3年の専門教育を受けられます。ここまでは、”中等教育”といわれます。その後、大学或いは学院へ入って4年から6年です。高級中学を卒業して、”高等専門学校”に入ります、大体2年から3年の教育を受けられます。それからは、””高等教育”と言います。日本の大学院は、中国では”研究生部”です。即ち:”碩士研究生”と”博士研究生”になります。都会の子は、大抵この道に進みますが、農村地帯は、ほとんど別の道です。農村に対しては、”義務教育”の言葉はありますが、法律で保障していません。都会では、この現象は殆ど見られませんが、農村、特に辺鄙地帯では、学校へ行かないことは何ら問題はないようです。そういえば、最近日本へ輸出した野菜の農薬問題は、やはり文化レベルの低下、知識不足でしょう。
撮影家解海龍氏は、「希望工程」の起こす第一人者です。この写真はこの運動の宣伝ビラです。
1993年10月解海龍氏が貴州省で撮った写真:この簡単な”橋”は、
退年した幹部の一人は200元を寄付して作った橋です。
子供たちは、これから水の中へ入らないで川を渡すことが出来ました。
◆今の中国は開放の名目で外来文化を猛烈に無差別に吸収している結果はどう?
中国人の生活には、最近ハンバーグや、マクドナルドや、カラオケや、車ショウなど、とても賑やかなシーンですが、実には、このシーンは中国人の生活水準を大幅に越えたシーンです。中国では、数年前から、2種類の価格システムを取り消して、給料と物価を同時にアップしました。でも、給料のアップは物価のアップより低いのです。現在は、”下崗工人”(仕事を待機中)の月収は300〜400元、簡単な仕事は、月に700〜800元、退休幹部の退休金は、月に1、000元、普通の幹部(公務員は、月収2、000元位、毎月のボーナスなどを含んで、3、000元位、普通の会社のサラリーマンは、月収2、000元くらいですが、IT関連の会社の月収は、30、000元以上も普通です。貧富の差が大変大きい。でも普通の3人家族は、毎月の生活費用は、大抵半分が食事、1、200元〜1、500元、(毎日野菜や肉を買う家庭は、1回30元〜50元)半分以上家賃、一般2DKの套房(1セット)は、月に2、000元を必要とします。外食の場合は、2人で一回100元を予算、コーヒーは、一杯10元、でもバーで一杯のビールは70元を取られる可能性もありますので、要注意!でも米は安い、5キロは、15元!(農民たちの苦しさが見える)。以上の計算を見たら、中国人の生活はかなり苦しいですが、そうとばかりも言えない。中国人は殆ど夫婦一緒に仕事しています。男性と女性の給料は殆ど同じ、そのため、家族的に計算すれば、余裕があります。もう一つは、中国では給料以外の収入源は、大量に存在しています。その原因は、中国では、法律は不完全、日本のような個人に対する”源泉徴収税”のシステムもありません。その上、幹部に対しては、自分の仕事で関連企業からいくらか別の収入あっても、報告義務がない。いくら賄賂を貰っても、見つけるのは難しいのです。特に、大手会社や国の仕事の下請けや大学や、現金ではない方式で、個人に支払っています。ある上海の大学の講師たちは毎年”交換留学生”の名義で、外国へ派遣。その派遣期間の1年中、給料は国からもちろん全額貰います、往復切符も国から負担、外国で1年自由に働くチャンスを利用して稼ぐお金は自分の小使いになる。この様なチャンスはボーナスといわれて、数年に1度、繰り返します。中国では、この様な国を騙して、自分の個人の財産にするチャンスは多分誰ももっているらしい、そして、マスコミをだます、オンブズマンもない国悲しい!vやりたい放題!
◆反政府組織の読み物やボルノ本を持ち込む事や古文物や書類や現金の持ち出しも要注意!
中国では、社会の安定と共産党に反することにとても敏感です。日本人は安定な社会と自由な社会に慣れていますが、急に中国のような複雑の社会に住むとなると、いくらか注意するべきです。たとえば、政治に関する組織の誘いを断らない、政治に関する組織を作らない、中国へ行ったり来たりする場合は印刷物に気をつけてチェックしてください。特に、台湾独立運動や、法輪功など敏感な政治問題を外国人は避けるほうはよいとアドバイスします。ある中国人は、お金の為に、何でも売りたいのですが、外国人が罠に嵌められる可能性も高いですよ。特に、中国では赤灯区の存在を認めたくない。バーで誘って或いは、誘られた場合は、民警がどこて待ち伏せの可能性はないではないでしょう。中国の人民警察は日本の警察より効率が高いと思っています。たとえば、暴走族や暴力団を取り締まるはあたり前、でも逮捕状はなくてもあなたの部屋へノックして当然入れます。瀋陽の日本領事館事件で、中国警察は、日本領事館へ無断侵入して、北朝鮮人を引きずり出します。私の見方は、この事件は、日本政府へ対する”大不敬”でなく、やはり、他人の家へ勝手に入ってから泥棒を連れ出す人民警察の日常活動の感覚でしょう。中国人は、人権やプライバシーの見方は独特ですが。日本人は要注意!
◆日本人は思っている常識がときどき中国で汎用しません
日本人の「常識」は中国人の「常識」とお互いに認識のすれ違いところはたくさんあります。日本社会の普遍の常識は、中国社会では汎用できないという事がありますので、中国社会とうまく融和するために充分に認識するべき。たとえば、日本では、女性の年齢、収入、家庭などのことを質問しないが、中国では大丈夫です。または、日本で、客へお茶くみやご飯をつぐのは女性の役目ですが、中国では、そうではない。日本では、休憩の時間帯で自分の友だちとあそぶのは当たり前で、晩酌も大抵職場の友だちと過ごす、でも中国ではありません、大抵家庭単位で活動する場合が多いです。晩酌も友人を誘って家で飲む、この時、大抵奥さんではなく主人が自分で簡単な料理をするケースが多い(断言できない、まったく日本式の家族は中国でも年々増えているらしい)。または、日本では、レジの前で、割り勘計算するシーンがたびたび見られますが、中国では、大抵食事を誘う方が皆を代表して支払わなければなりません。そのため、支払いをしたくないか、”けち”の方はやはり誘わないほうがよいです。または、日本で、男女かまわず、自分が年齢を若く見られる工夫する、しかし、中国では、逆です、自分の年齢が年上のことは自慢なのです。
◆同じ漢字の解釈が違います
日本では中国と同じ漢字を使用しても、同じ漢字で解釈が違うケースがあります。漢字に対する感覚も違います。例えば、漢字の”娘”は、中国語で”お母さん”の意味、漢字の”手紙”は、中国で”トイレットペーパー”、漢字の”怪我”、中国語で”僕の所為”、漢字の”天地無用”は、中国で”天を信じず地を信じず、自分のみ信じます??”、漢字の”小心”、中国語で”気をつける”、漢字”丈夫”は、中国語で”主人”。中国人の漢字感覚により、日本語の中に、鬼、尻、股、猪、犬、肥などの漢字を商品名の入れない方がいいです。同じように、中国語で発音できない日本語の国字:例えば 辻、凧、俣、惣も使わない方がよいでしょう。
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